2005年10月 3日 (月)

海洋自然葬(散骨)について①

今日からは、自分のライフワークとして始めた海洋自然葬(散骨)ついて、少し、書いてみたいと思います。

人類の歴史としては、何万年も前から、人の死を悼み悲しみ、それらを乗り越えて生きて行くための儀式があったことが解かっています。原始宗教とも深く結びつき、現在まで脈々と受け継がれています。  人の死が、ごく日常的であった時と比べて、今は、覆い隠されています。大方の人は、無意識の内に、触れたくないもの見たくないもの、自分のことではないものと思い生きています。

逆に、現在では、よく知られているように、ゲームに夢中になれば、ゲーム脳になるとも語られています。ゲームの中では、簡単に人が死に、そして、簡単にリセットが出来ます。

バーチャルな世界では、生きることも死ぬことも、限りなく軽いものとなって来ています。現実と非現実の境界線が曖昧となっているのです。   

生きているという実感や感動が希薄となり、死の意味も希薄となっているのです。

しかし、生きとし生けるものの全ては、変化して、やがて死を迎えます。   

137億年前に無から誕生した宇宙が、悠久の時を経て、46億年前にこの地球を誕生させました。

水の惑星と呼ばれるこの地球は、緑の大地と海に覆われています。 その大海原から生命が誕生し、38億年にもわたる淘汰の歴史を繰り返して、この自分というものに到達したのです。    

つまり、この身体この意識は、宇宙のひとかけら、地球のひとかけらから出来あがっているのです。   DNAに刻み込まれたこの記憶により、人は、自然の中にこの身を置く時に、心が深く癒されるのです。

以上のようなことを踏まえて、海洋自然葬(散骨)をするということは、宗教などを超えた次元で、生命のふるさとに帰ることだと考えております。

自分が死んだら、葬式はしなくてもよい。 海に散骨をしてほしい。 最後まで自分らしくありたい。  そんな願いを持つ人が、最近確実に増えています。 しかし、現実的に、どうしたらよいのか。 

何を基準に、海洋自然葬(散骨)を実施してくれる会社を選べばよいのか。  等々を次回に具体的に述べようと思っています。  

これからの生き方の参考にしていただければ幸いです。

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2005年7月24日 (日)

ハワイアンの調べで・・・

人生で最も幸せで、心がゆったりしていて、何故かわくわくし、希望にあふれる気持ちを詩に託してみました。

ハワイアン♪♪の調べをイメージしています。

           

An  Extreme  Happy  Day!

                  

まどろみから覚めたら

海を見つめる君がいた

         

きっと  今日は忘れられない日

ふりそそぐ太陽と   風にそよぐ椰子の葉と・・・

澄み切った青空に   白い波頭(なみ)が砕けてる

         

その音までも聞こえそう

         

張り裂けるほどの幸せに

涙がこぼれて止まらない

いろいろ寄り道したけれど

君といることが   奇跡と思えてくる・・・

Viva!   My   Life!          Viva!   My  Life!

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2005年7月21日 (木)

夏に日に思うこと

梅雨が明け、今日は32度ぐらいか。  昨年の今時分は、連日30度を超えていたのを思い出す。 そして、こんなことを思い出す。 亡くなった祖母が、《80年もあっという間に、夢のように過ぎる・・》とよく言っていた。  その言葉が思い出されて、なるほどそうかと納得できる自分も歳になっている。  田舎を離れてもう35年の時が過ぎたが、自分の過ごしてきた時間は、やはり、一瞬のように思う。

今は、78歳になる母が、夏休みが始まる頃、《朝の内に勉強せなあかんでー・・今日は暑なるよって・・》という。   昭和36年の頃か。 母の言葉を聞き流し、午後には、わくわくしながら、笹が生い茂る山の中のこみちを抜けて、灌漑用に江戸時代に作られたという、溜池に向かう。  山をひとつ越えただけだが、ずいぶんと遠くに来たと思ったものだ。 草叢に、上着とズボンを脱ぎ捨てて、買ってもらったばかりの海水パンツに履き替えて、岩の上から飛び込んだ。  当時は、農薬もほとんど使っておらず、池の水は、清らかに澄んでいた。  泳ぎを覚えたばかりで、楽しくてしょうがないあの懐かしい感じを思い出す。 当時の田舎の子供には、高価だった水中眼鏡を買ってもらい有頂天になっていた。 それまでは、ぼんやりしか見えなかった水中の様子が、手に取るように分かるあの感激。  水底を見ると、あちこちに、今も正式名を知らないが、田舎で、<カラス貝>と呼んでいた貝が、見える。  楕円形で、黒い色をした貝である。  嬉しくなって、海水パンツの間に詰め込み、手にも持てるだけ持って、水面に顔を出す。  西に傾きかけた太陽が目に入る。

カラス貝は、醤油を付けて焼くと、今思えば、ムール貝の味だった記憶がする。

今も、あのカラス貝はあるのだろうか。

飽きもしないで、また潜ると、やはり、水中は異次元の世界。  水中から、水の中の住人になりきって、上を見上げると、揺れる太陽と、松ノ木と竹薮が、煌いて見えている。 どちらの風景が本当なのかと自問した、10歳の自分がいた。

その夏の日の感触が今も残り、世の中を眺めているような気がしている。

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